40代より若い人たちには馴染みがないかもしれないが、この英会話教材は、30ほど前に大ヒットした。
高額な教材だったが、聞くところによると、30万セット以上売れたそうだ。
実は、この教材は私が制作した。
私が独立してすぐの頃、1986年だった。以前に勤めていた会社の社長に相談されたのだった。通販大手の販売会社から有名英語出版社に依頼があり、その仕事を、私の前職の会社が請けたのだったが、担当者がパニックになり、お手上げ状態だから助けてほしいと言ってきた。
どのような構成と仕組みにするかを、当時いっしょによく仕事をしていた録音スタジオの技術者に相談した。残念ながら、その技術者は1999年に亡くなってしまった。私が知っている音声に関することは、すべてその人に教えてもらったのだった。
教材の流れは、当時の「英会話教材はこんなもん」という典型的なものだった。
つまり、アメリカへ出張し、いろいろあって大団円で終わるというものである。アメリカへ行く飛行機の中でも、アテンダントと英語で話す。今では、まず必要ないと思うが。
アメリカに着いてホテルのチェックイン、食事の仕方、タクシーに乗る、取引先に行く、ゴルフをする、病気になって医者にかかる、などなどの会話を覚えていく流れである。
当時はラップ英語みたいなのが流行っていたし、小林克也氏が音楽にも関係があったので、彼の話す英語のバックに「トントントン」というリズムを刻む音を軽く入れてみたらどうだろうとなり、小林さんに相談したところ、「それはいいね、それで行こう」となった。
当時はオープンリールのテープに録音し、音声編集は、テープを切って「スプライシングテープ」と言われる薄いテープでつなぎ合わせていく作業をする。
録音スタジオでは、リズムメーカーでリズム音を流しながら、それに合わせて小林克也さんにラップ調の英語をしゃべってもらう。
最初のうちは、NG が出るとテープを巻き戻して小林さんにやり直してもらっていたが、それでは小林さんの時間を食ってしまうことになる。忙しい小林さんに迷惑がかかる。それで、NG になっても、テープは回しながら小林さんに言い直してもらい、あとで音声編集することにした。
これが、あとあと大変なことになるとは。
テープの編集では、NG 部分をカットしてテープをつなぐとき、「トントントン」というリズムの長さに合わせてスプライスする。「0.0何秒」違っても音の狂いは分かるので、非常に神経を使う作業だった。
テープをスプライスして編集し、あとでテープを回して聞き直す。そして、短すぎればノンモンテープを0.0何秒単位で継ぎ足す。長ければ、テープをミリ単位で切ってスプライスし直す。
そうやって、トントントンというリズムが一定になるように作っていくのである。短ければ「こりゃ、短けぇ」、長いと「うわっ、こりゃ長いわ」と騒ぎながらの作業である。
出来上がりが1分のテープを編集するのに3時間くらいかかることもあった。
最後の1週間ほどは、スタジオから一歩も外に出ず、食事もすべて出前。もちろん、家にも帰れず、風呂にも入れず。外は晴れているのか雨なのかすら分からない。
そして、テープはまだ編集中なのに、新聞や雑誌には「好評発売中」などという広告が出てしまった。
それで、制作中のみんなと、冗談を言ったりしたものだ。
「電話しようか。3日ほどでアメリカに赴任になるので、どうしてもほしい。御社まで取りに行きますので、売ってほしいって言って」
そして、すべての編集が終わってスタジオから解放されたあとのこと。
交差点で信号が変わるのを待っていると、目の前を車が行き交う。
車間距離が一定だと「すっ、すっ、すっ」と一定のリズムで違和感はないが、車間距離が詰まっていると「すっ、すっ、すすっ、すっ」となったりして、「こりゃ、短けぇ」と思ってしまうのだった。車間距離が空きすぎていると「すっ、すっ、すーっ、すっ」と感じ、「おい、長いじゃないか」と思ってしまったのであった。
そして、はたと「あ、もう編集は終わったんだ」と気づいて、改めてほっとしてみたり。大きな仕事が終わったあとの虚脱感と、車の車間距離が気になって仕方がないのが何日か続いた。
精神異常の一歩手前まで行った『小林克也のアメリ缶』制作のいきさつでした。
このあと、この教材が売れに売れたので、柳の下のドジョウをねらって、ある会社が私にアプローチしてきた。
この話は、別の記事に書きましょう。
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