カリフォルニアの青い空 ― 4.留年が決まる

大学を4年で休学し、その後アメリカのカリフォルニア州にある大学に留学した。そのいきさつや出来事を書いていく。 

心の中では大学を休学し留学することを決めていたが、一方、万一心変わりして、あるいは何かの異変で卒業せざるを得ないことになる可能性も考えて、卒業論文は書き進めていた。

なぜ留年を選んだのか。卒業してそのまま留学し、帰国して就職という方法もあったはずだが。

当時は、就職浪人は新卒に比べて不利だと言われていた。就職の応募条件に「新卒に限る」という文言があることが多かったのである。留年して多少ほかの新卒者より年齢が上であっても、就職浪人よりは有利だった。就職浪人は、一種の離職者扱いだったのだろう。

私が通った大学は、当時、最大2年間休学できた。そして、休学期間中は授業料を払わなくてもよかったのである。この制度を使うことにした。

卒業に必要な単位は、なんとかクリアしている状況で、4年次の単位を落とさなければ、そして卒業論文を提出すれば、おそらく自動的に卒業となるであろうと思われた。

なので、敢えて卒論を提出しないことにした。提出期限の1976年1月16日正午までには、一応書き上げてはいた。提出すれば「卒業」である。

提出期限の日(1976年1月16日)、いつものように朝刊を配り終えて朝食を済ませ、部屋に帰った。こたつに入って悶々としながら時が流れるのを待っていると、寝入ってしまった。

目覚めたのは11時頃だった。とりあえず出かける準備をしながら、ダラダラと過ごした。

正午になった。まだ部屋にいた。卒論の提出期限が過ぎた。私の留年が決まった瞬間だった。

 

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