カリフォルニアの青い空 ― 12.アメリカ2日目 ― その3

赤井田拓弥がカリフォルニア州 Palm Desert にある College of the Desert に留学していたときに起きた、さまざまな出来事をエッセイ風に書いています。


大学に到着

大学から10マイル離れた Indioという町からタクシーに乗り、College of the Desert の前でタクシーを降りた。College of the Desert は、直訳すれば「砂漠の大学」である。

大学の前と言っても、大学の敷地に面した道路でタクシーを下りたので、メインビルディングまでもけっこう歩かなければならなかった。あとでも触れるが、けっこう高い気温の日(8月5日)だった。

大きなスーツケースを抱えて(まだキャスターは付いていなかった)受付のようなところに行き、ESL(English as a Second Language) の場所を聞いた。
ESL はキャンパスの西の外れだった。タクシーを降りたのが、キャンパスの東の外れだったから、広いキャンパスを横断したことになる。

コミュニティ・カレッジなので、ほかの州立大学のようには広いキャンパスではないが、それでも、私が通った北九州大学(現北九州市立大学)のキャンパスよりは、段違いに広い。

ESL にようやくたどり着き、何度か手紙のやりとりをした責任者と会えた。ほんとうにうれしかった。ここで間違いなかったのだ。そして、ここでしばらく勉強するのだ。
新聞配達をする育英奨学生であまり真剣に大学に通ってはいなかったので、アメリカの大学に毎日通うことになると思うと、感慨深いものがこみ上げてきた。

何度か手紙をやり取りした ESLの責任者の人は、30代半ばを過ぎた感じの人だった。のちにこの大学の学長を務めた人である。
今では引退して、悠々自適の生活だ。遠くに住む娘や息子のところに孫たちの顔を見に足繁く通っている、まだまだ元気な人である。奥さんは日本人である。

いろいろと話をし、次の日から早くも大学に通うことになった。教科書を何冊かもらった。You can keep them. と言われた。そのときは「持っていてもよい」くらいの意味にしか取らず、「ただであげる」という意味だと理解しなかった。

日本人の学生も4人ほどいて、その人たちも紹介してもらった。

そして、韓国の生まれ育ちで、そんなに日本語がうまくない日本人と、しばらく room share をすることになった。

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