カリフォルニアの青い空 ― 16.日本人留学生や住んでいる日本人、日系人

赤井田拓弥がカリフォルニア州 Palm Desert にある College of the Desert に留学していたときに起きた、さまざまな出来事をエッセイ風に書いています。


ロサンゼルスやサンフランシスコ、ニューヨークのような大都市ではなく、田舎の Palm Desert を私が選んだのは、田舎であれば日本人が少ないだろうと思ったからである。もっとも、入学許可が来たのがこの大学だけだったのだが。日本人が少なければ、それだけ多く英語を話し、上達も早かろうと思ったのである。

その前の年に大学の同級生がサンフランシスコに半年ほど滞在したことがあった。彼の話では、ロサンゼルスやサンフランシスコ、ニューヨークといった大都会は日本人だらけで、しょっちゅう日本語を話すことになるから、英語が上達しないまま終わっている人たちが多いということだった。

私がまだ日本にいたとき、ESL(English as a Second Language)プログラムの責任者から来た手紙にも、「日本人はそんなにいません」と書いてあった。

不思議なことに、と言うか、この大学の授業料が無料だったということもあるかもしれないが、この1976年8月~9月は、日本人留学生が大挙して College of the Desert (COD) にやってきた時だった。

私が8月5日に到着したときには、ESL (English as a Second Language) の日本人留学生は3人だけだった。私を含めて4人。あと一人、カレッジコースの授業だけを受けている日本人がいた。
それから1週間くらいで3人がやってきた。そして、8月中にあと2人やってきた。その後、11月頃までに、さらに3人がやってきた。一挙に日本人社会ができてしまった。

この地に住んで1か月もすると、いろいろなことが分かってきた。そして、日系人や移住した日本人たちとも知り合いになり、その人たちの家を訪ねて夕食をごちそうになったりしているうちに、この地はすばらしいところだと思い始めた。

砂漠の風景は、日本の田舎の風景とも違うし、ましてや東京のそれとはまったく違う。こうした風景に魅力を感じ始めていた。

ESL のクラスもいちばん上に入れてもらい、会話だけでなく、ライティング、いろいろな assignment が出たりして、忙しく充実した英語学習生活が送れるようになっていった。

「日本人は多いけど、うまくつきあい、この地の人たちや先生方、ほかの国からの留学生たちとしっかり交流していけば大丈夫だ。この大学で頑張ろう」 と思った。

この頃にやってきた日本人留学生は、また不思議なことに、私と同じように2年後の1978年6月~8月頃までに、そのほとんどが帰国したのだった。

今、この大学を訪れて当時の先生方と話をすると、「その後も多くの日本人がやって来たが、76年にやって来た日本人学生が、私たちの記憶にいちばん残っている」と言われる。

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