形容詞や過去形に「です」は続かない。

 もうずいぶん昔のことになるが、初めて東京に来たころ、駅での「危ないですから、白線(今では『黄色い線』)の内側までお下がりください」という言い方に違和感を覚えた。

 その後、編集の仕事をし始めて「美しいです」とか「楽しかったです」という表現をできるだけ使わないように書き換えてきたが、近頃、私が「美しいです」を「美しい」に直すと、クライアントが「『です』を付けてください」と言ってくるほどで、もう手が付けられない状態になってきた。

 東京に来てから3年ほどして、大学の卒業証書をもらうために(実はもらっていなかった)小倉に行ったときにバスに乗り、「危ないですから」に違和感を覚えた理由が分かった。

 小倉のバスでは「危のうございますから」と言っていたのである。

 1964年の東京オリンピックのマラソンで銅メダルを取った円谷幸吉の遺書のことを、ノーベル賞作家の川端康成が、「遺書全文の韻律をなしてゐる。美しくて、まことで、かなしいひびきだ」と語り、「千万言も尽くせぬ哀切である」と評したと言う。

 円谷は遺書の中で「父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました」のように書いている。

 これを「おいしかったです」と書いていたら、川端はなんとも思わなかったであろう。

 今では、小学生だけでなく大学生までも「きのうは楽しかったです」とか「その花は美しいです」のように書くため、誰も違和感を覚えなくなっていると思われる。

 教材を編集しながら、こうした表現を直すのがたいへんになったなあと思うのである。

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